MENU

 

日本秦漢史学会について

 

 

 1986年10月に安徽省蕪湖で開催された第三回中国秦漢史研究会学術討論会に日本人の研究者7名が参加してから、日本にも兄弟学会の設立の動きが始まり、3年後の1989年11月2日に日本秦漢史研究会創立の会にこぎつけた。以来毎年関西圏の西と東京圏の東で交互に大会が開催されている。2008年で20回を数える。
 

 2002年9月13日には日本学術会議学術研究団体として登録され、日本秦漢史研究会から日本秦漢史学会に改称した。運営は東日本・西日本の二つの分会で行われ、総会で選出された会長のもとに、10名の理事、2名の副会長と2名の監事によって行われる。事務局は過去には佛教大学、中央大学、京都大学に置かれ、現在は関西大学に移っている。歴代の会長は大庭脩(1989~1990年)、尾形勇(1991~1994年)、杉本憲司(1995~1998年)、池田雄一(1999~2002年)、江村治樹(2003~2004年)、鶴間和幸(2005年~)、副会長には尾形勇、杉本憲司、太田幸男、江村治樹、冨谷至、原宗子、鶴間和幸が当たってきた。会費に基づいて毎年学会の学術雑誌『日本秦漢史学会会報』を発行する。2000年に第1号を発刊し、2008年で9号を数える。会員からの投稿と依頼原稿を編集委員会が厳格に査読して掲載する。会員へのニュースである『秦漢史研究会会報』は1999年で終わり、2001年からは『日本秦漢史学会ニュース』として発行している。
 

 大会は個別報告が原則であるが、これまでの大会には特別なテーマを設けたものもある。1992年の第4回大会は関西大学で「漢簡研究国際シンポジウム」が行われ、1994年の第6回は大阪府近つ飛鳥博物館で大会が開催され、1995年の第7回は中国史学会と共催で「先秦・秦漢時代史の基本問題」のシンポジウムが早稲田大学で行われた。1999年の第11回は中央大学において第1回中国史学国際会議の準備会として「中国(秦漢時代)の歴史世界ー統合のシステムと多元的発展」が開かれ、中央研究院歴史語言研究所所長の杜正勝先生に講演をお願いした。2008年の第20回は、はじめて首都圏・関西圏を離れて四国の松山で2日間にわたって開催した。
 

 秦漢史という学問、いままた転機にきている。1995年に兄弟学会である中国出土資料学会が設立され、秦漢史学会も出土資料学会と共存しながら発展してきた。秦漢史研究のなかで文献資料と出土資料をどのように扱っていったらよいのか、両学会は重なる部分が多いが、棲み分けも必要である。秦漢史研究は戦後の中国古代史研究を主導してきた。現在出土簡牘資料を素材とする個別研究は着実に進展した一方では、共有する大きな問題意識には欠ける。中国古代帝国の構造の問題がかつて議論されたが、豊富な出土資料を得た現在、その議論をどのように修正していくのか、また新しい問題意識のなかでどのような見方を構築できるのか、議論すべき問題である。20年目を超えた学会として新たな秦漢史研究の枠組みの共有をめざしてしていきたい。
 

(文責・鶴間和幸)